最高気温40度以上の日を「酷暑日」と呼ぶことが、最近正式に決まったそうです。
なかなかいい名前じゃないですか。 むしろ、なぜ今までこの言葉がなかったのか、というくらい自然なネーミングに思えます。
ただ、僕がこの話で本当に面白いと思ったのは、命名のセンスじゃなくて別のところで。
「酷暑日」という言葉ができた瞬間に、これまでぼんやりと「いやー暑いね」「最近異常だね」で済まされていた現象が、急に輪郭を持って認識可能になったということなんです。
名前がつくと、人はその現象について話せるようになる。
話せるようになると、それを共有できる。
共有できるようになると、対策を議論できるようになる。
名前を付けるという行為には、ぼんやりした現象を社会的に取り扱える存在に変える力がある。
僕はこれを、自分の経験を通して強く実感したことがあって。
「面白がり力」という言葉を、僕は数年前に使い始めた。 村上 臣さんとの雑談でふっと出てきた言葉なんです。
何にでも興味を持つこと。興味を持つだけでなく色々調べたり、自分でやってみたりする人は一つひとつの「引き出し」が大きくて深い。
それをたくさん持っているから、新しい場面でも組み合わせて何かを生み出せる…そういうイメージが一つの言葉になった気がしました。
「面白がり力」という言葉ができてから、僕の中の景色が変わりました。
それまでは「あの人はなんかうまいんだよなあ」「この人は新しい発想がポンポン出るんだよなあ」と漠然と感じていただけだったけど、その共通項に名前がついた瞬間、それが「能力」として認識可能になった。
能力として認識できるようになれば、育てられる。誰かに教えられる。意識的に伸ばせる。
名もない「なんかうまい」のままだったら、ただの個人の素質で終わっていた話が、誰でも目指せる目標に変わったんです。(だから面白がり力強化ワークショップという仕事にもつなげられた)
このことから僕が思うのは、新しい価値を生み出せる人というのは、新しい現象を見つけて、それに名前を付けられる人なんじゃないかということです。
ゼロから何かを発明する人だけじゃなくて、既にそこにあったけれど、ぼんやりしていて誰も扱えなかった何かを、言語化して取り扱える形にできる人。
新規事業の現場でも、「それってつまり、こういうことですよね」と要素を切り出して名前を付けてくれる人がいると、議論が一気に進むことがある。 逆に、名前をつけない議論はいつまでも空中戦のままで、形にならない。
名前を付けるという行為そのものが、世界の解像度を一段上げる作業なんだと改めて思いました。
「酷暑日」というネーミングがしっくりきた…それだけのことではありますが、ぼんやりした何かにちょうどいい名前をつけるってすごい仕事だな~と思います。

