「嫁ブロック」って言葉、ご存じですか?
ある程度の年齢に達している妻帯者が、自分のやりたいことに殉ずるために勤務している会社を退職しようとする際に配偶者から「やめとけ」と止められる、それが嫁ブロックです。
上記のようなシチュエーションは往々にして、夢見がちな男性が後先考えずに発作的に行動しようとした際に冷静なパートナーから「冷静になれ」と諭されるイメージがありますよね。

僕は20年務めた市役所を40歳過ぎて辞めて起業したというキャリアなので、この話をすると多くの方が思うわけですよ。

「夢見がちな世間知らず公務員の旦那が無謀な決断をしようとしたのに奥さんはとめやしなかったのかい?」ってことを。

確かにそりゃそうなんですよね。同じ状況の人を見たら僕でも同じことを聞くと思います。

今回のテーマは、僕が「役所辞めるわ」と言ったとき、妻がなんとコメントしたのか?

答えを先に言うと「ワクワクするね!」でした。

「ホントか?」と思われる方もいるでしょう。なのでここから詳しく話します。ある程度の年齢から起業を考えている方にとっては参考になると思うので。

まず辞めようと思ったのは役所の中で「新しいビジネスを作っていくことに携わることが自分の天職」というある種の悟りのような感覚に達したからでした(この話はこのブログの前回分をお読みください)。

大阪イノベーションハブの運営の仕事を天職として励んでいるある日、人事異動の打診がありました。

「経産省へ出向しないか」という話です。

これはキャリア的にはチャンスです。出世も遅く、社内的には扱い辛いやつと思われている僕に対して「三方よし」の提案だったと思います。当時、大阪市役所から経産省への出向は前例のない初めてのルートでしたし、僕の経歴にハクをつけてやろうという温情も感じました。
さっそく家に帰って妻にこの話をすると妻の返事はノーでした。

なぜか?

考えればダメな理由は明らかです。当時、妻のお腹には息子がいて、それなりの高齢出産になるのでリスクも高い。もちろん上の子の面倒も見ながら出産と乳飲み子の世話をワンオペするのはありえない。そりゃそうだなと思い、出向を断ることを即決しました。

ただ、その時、妻にはこういう話もしました。
「この話は断るけど、これからも人事異動はあるし、そうなると今の仕事から離されていく。僕は今の仕事が天職だと思っているので、その時が来るまでに辞めようと思うんだ」

妻はこう答えます「辞めても本当に大丈夫なの?」

なるほど。その心配はもっともです。なので僕はこう続けました。
「確かに今すぐ辞めてもお客さんがつくかどうかはよくわからないね。なので今日から1年かけて2つのことを頑張る。」

一つは自分のステージを上げること。イベントで話をしてくれとかコメンテーターをやってくれって依頼があったら全部断らずに行くし、自分たちで企画するイベントでも積極的に前に出ていく。そうやって角勝を検索した時に良い記事がたくさん出てくるようにする。

もう一つは、できるだけ東京に行くこと。関西の会社は製造業の文化が強く「無形の価値」を認めにくいから、僕が起業しても関西の会社はお客さんにはなりにくいだろう。だから収入が安定しているうちに東京の会社に自分の名前を売りにいっておきたい。

「この2つを頑張りたいのでこの1年は休みの日も家を空けがちになると思うけど許してくれるかい?」

こんな話をしたら妻も「わかった…」と言ってくれました。これが2014年2月のことです。

その後どうなったか…言霊というものはあるもので、実際にこう口に出してみるとその通りの流れが起こりました。

最初に叶ったのは2つ目の目標である「できるだけ東京に行く」。こちらは経産省の外郭団体JIPDEC(一般財団法人 日本情報経済社会推進協会)のワーキンググループの委員を拝命したのです。この委員の仕事はもちろん無給ですが市役所も公認で交通費も出る。なので有給を付け足して(宿泊費は自腹ですが)いろいろな企業の決裁権がありそうな人に時間をとってもらって大阪イノベーションハブのアピールをして回りました。「え?有給とって仕事してるってこと?」と思われるかもしれませんが、それでいいんです。相手から「コイツ面白い!!コイツと仕事がしてみたい!!」と思ってもらうのが目的なんだから、むしろ今の仕事に対してどれだけ情熱を注いでいるかを伝えるかの方が重要なんです。なのでもちろん、宿泊費は自腹であることや「有給でこれやってます」ってことは伝えました。

一つ目の目標「自分のステージを上げる」も徐々に叶っていきます。様々なイベントでパネリストやゲストスピーカーとして話をする機会に恵まれ、休みたびに色々なところに行きました。岐阜や青森、石巻…最終的には生まれ故郷の島根にも招かれました。そしてシャープさんの新製品発表会でのパネルセッションのモデレーターも任され、それが週刊ダイヤモンドの記事にもなり…自分のステージを上げるという目的も達成されていきました。これがその年(2014年)の12月のことです。

そんな折に、当時の上司(男性)が僕を呼びつけました。
「大阪市の外郭団体からクレームが来ている。角が目立ちすぎるから自分たちの仕事が目立たないと。お前は後ろに下がれ」という内容でした。

僕としては仕事としてやるべきことをしているつもりだったのでさすがにショックではありましたが、すでに2つの目標は達成できていたので決断は早かったと思います。

上司からこの話をされた当日、帰宅して夕食を食べ終わったタイミングで妻に話しました。

その日、上司に言われたこと、打ちひしがれた自分の気持ち…そして…「そろそろ辞めて自分の会社作ろうかと思ってんねん…」という一言。

妻がどういう反応をするか、内心ドキドキです…そんなときに返ってきた言葉が、

「いいじゃん、ワクワクするね!」

だったんですよね。妻はこの時のことをもう覚えていないようですが、僕は一生忘れないと思います。僕の一年間の苦労を見ているからこそぽろっと出た言葉だったんじゃないかなあ。

あの時の妻の一言に背中を押してもらっていなければ、今の僕もフィラメントもないと思います。

あ、退職までにやった起業の準備がもう一つあった。それは「特許をとる」です。
次回はこのことを書きますね。